物事には意味がない!?(2)

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前記事からの続き。
 
さて、そんな中での奄美大島。
青い空と美しい海~・・・
奄美はそんな印象があると思いますが、いま振り返ると私が変化する“種”が植えられたのは、山(原生林)だったと思います。
長野生まれの私は、やはり緑の中にいる時が一番解放されます。
カナダに住んでいたときも、山中の湖畔キャンプで癒されていましたし。
 
 
海と山が近い奄美は、どちらも体験できます。
本島では見られない木々があるものの、
どこかの外国ではない、日本がありました。
だから懐かしい感じもしたし、子供の自分に戻ったような感覚もありました。
 
 
旅に出ると興奮したり感傷に浸ったり、
感度が敏感になりますが、私はあえて
ニュートラルにそこに存在しようと決めていました。
 
ここでエニアグラムの話になりますが。
私のエニアタイプ(タイプ4)の場合、感傷に浸ると見えるものが見えなくなります
そうなると大事なものを見落としそうな予感がしたので、そこでは自分を出さずオープンにニュートラルに、ただ存在することにしました。
 
 
「ここで生きている木々は、
意味も無く、価値もなく、
それでも生きているのだなあ」
と一瞬、頭の中で解説が始まりそうでしたが、それすらもグッと我慢して。
 
  
自然の中に行くと、なぜか人は癒されエネルギーをもらい、
あるいはリセットできたりします。
存在するだけで何かを残すことができる。
自然にそんな力があるのなら、
人間にだってできるのかもしれない。
そんな存在になってもいいんじゃないか。

 
あえて言葉にすると
きっとそんなこと。
いま振り返ると、
そういったことを体で感じて、
持って帰ってきたんだと思います。
 

 
奄美の旅から東京へ戻り、日常が始まりました。
気がついたら、しつこくまとわりついていた虚無感がなくなっていました。
 
虚無感の中にいても、勉強したことを自分の体を通じて身につけて、クライアントに還元するということは、日々意識していました。
少しずつ蓄積されてきた知恵や体験は、ちゃんと自分の財産になっています。
そういったタイミングもあったのかもしれません。
 
 
「すべてに意味がある」と信じていて
そのあと、「物事には何も意味がない」と
希望を投げ出して見えてきたものは、
 
意味はあるし、意味はない
あってもいいし、なくてもいい
どっちでもいい

 
ということ。
なんだー、どっちでもいいんかい!
というツッコミがあるかもしれませんが、
そう言い切れる理由は、
自分に対する愛が揺るぎないものだと信じているから
 
 
どっちを選んでもいいし、選ばなくてもいい
その自由さがあるから
自分が解放され、いかようにも変わることができるんじゃないかと思うのです。

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