『囚われ』を受け入れる
久しぶりにエニアグラムの話。
エニアグラムを学ぶと
内面の深いところに隠れている『囚われ』を知ることができます。
『囚われ』とは、簡単に言うと「思い込み」。
自我がフィルター(色眼鏡)を通してみた世界の恐れから身を守るための生きる術。
でも、色眼鏡は大概、汚れていたり、色がついてしまっています。
色眼鏡を透明に磨いていくことも、
成長のひとつと言えます。
成長していくと、思い込みで世界を見ていたこともわかるし、自分を守るために勘違い野郎になっていたことも分かります。
エニアグラムの教科書を読むと、
囚われ = ダメなこと
というニュアンスで書かれていることが多い。
読めば読むたびに落ち込む毎日でした。
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余談ですが、海外のエニアグラム関連のセミナー映像などを観ると、基本的に暗いんですよね。。。なぜか。
エニアグラムの性質なのか、
暗い!!
唯一、ラス・ハドソン(エニアグラム研究所)のユーモアに私は救われました^^
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だから、学び始めの頃、
私は「この囚われを変えなきゃいけない、
変えないと幸せになれない」と思ってました(勘違い
でも、いくら気をつけていても
変わらないんです。。。
そのうちに、「この囚われがあるから
こうありたい、という欲求が生まれる」ことが体感として腑に落ちるようになりました。
通常、「囚われ」と「欲求」はセットで考えます。
表裏一体というか、囚われがあるから欲求が生まれるわけで。
「色眼鏡を外そうと思ったけど、
持っていていいんだ、
これが私なんだ。」
そうやって受け入れることが出来てから、
不思議なことに色眼鏡の汚れが綺麗になっていきました。
世界が変わるとは
こういうことか、と。
そのうちに、自分が見ている現実の仕組みも分かるようになりました。
頭では「こんなの望んでない!」と思っていても。
よく観察すると、
自分の都合のいいように現実が現れていることがわかります。
だいたい、受け入れられない現実は
自分が目を背けていることを教えてくれます。
頭では気づいていないことを
現実を通して教えてくれることもあります。
「後回しにするんじゃないよ」と
気づかせてくれる現実もあります。
いつか、そんなことをお話できる場を作りたいなと
いま書いてて思いました(^^)